3人の日本人は派閥をつくる(by丸山真男)

敵は前にいる奴ばかりとは限らない

敵は前にいる奴らばかりとはかぎらない。敵は前の奴らばかりと思っていたら、味方だと思って無防備にしていた後方から刺されることもある。だれが敵かは比較的わかりやすいが、だれが味方かは実にわかりづらい。

つい最近のことだが、そう、痛感することがあった。兄弟といえば血縁で信頼関係もあると思っていたら、裏切られ、裁判で訴えられてしまった。身内のことでお恥ずかしい限りである。兄弟は他人の始まりとはよく言ったもので、味方だと思っていたのはこちらだけで、あちらは敵だと思っていたわけだ。

というように、敵はわかりやすいが、味方だってホントはどうだか。敵味方の峻別はこのようにわかりづらいけど、注意すべき点がいくつかある。

構成員の数に反比例して、個々の責任は割合的に小さくなる

ひとつ。組織の中の個人は、組織の構成員数が多くなるに反比例してその責任が割合的に小さくなる無責任構造である。1人なら全責任をとらないといけないが、10人なら1/10に、100人なら1/100になる。だから、構成員が多くなるほど、個人を犠牲にしての組織優先になりやすい。そのことに痛みを感じなくなります。集団的な把握を重視し、個的な把握を軽視する。

そういうことがあるから、組織に属している個人を見るときは、その個人をみるよりも組織をみたほうが確実なことが多い。宗教じゃないのだから、100%信頼を寄せたり、依存するのではなく、自分で判断し、依存しないことが大切だとおもいます。

利害関係に注目せよ


ひとつ。利益相反関係。これってくどくど言わなくてもわかりそうなものなんですが、やはり注意したいところです。

昔、モラルリスクの調査をやったときのことです。モラルリスクっていうのは保険の業界用語です。どういう意味かというと、かんたんに言ってしまうと、保険金詐欺です。その疑いがある調査のことです。登場人物は町のチンピラとかヤ〇ザとかそういう方々です。チンピラはともかく、ヤ〇ザの場合は事務所に出向かないといけないので、指名されたら嫌ともいえず(支社ではこの調査ができる人は私以外にもう1人なので、確率半分だけれど、もう1人は防弾チョッキ着用でないといけないという気弱なところがあってその後ストレス過多で辞めたが、私がだいたい必然的にこの調査依頼を受けるはめになります)、出向くしかありません。意を決して出向く。(つづく)

いちど騙された奴は何度でも騙される

伊丹万作「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

この方の評論を一部引用するが、全文に一度目を通しておいたほうがいいよ。騙されても反省しないんだからさ。

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

組織よりも「個」を優先する


最後に公平を期するために私について。私は組織よりも私個人の利益を優先します。だから、もし会社が私の要求額の倍出すと懐柔してきたら、心が動いたかもしれません。みんなのことよりも自分を優先していたかもしれない。そんなことを会社が言ってこなかったから、たまたままともだったにすぎないのかもしれない。実にいい加減な人間なんですよ。だから、私に対しても警戒心を怠らないことです。全幅の信頼ではなく、どっか保留にした上での信頼関係というのがいいとおもいます。

組合の代表者のくせしてそんな発言していいのかよとおもった人。いいのです。人が集まり団結することでより大きな力になる。タテマエはたしかにそうだ。タテマエで悪ければ理想論でもいい。うまくいけばそうなんだろうけれど、タテマエや理想論だけ言っていてもダメだと思う。

丸山真男「自己内対話」 より

逆に「1人の日本人は利口である。2人の日本人は人のうわさをする。3人の日本人は派閥をつくる。」(丸山真男「自己内対話」)と言うことにもなりかねない。むしろ丸山のことばのほうが箴言だとおもい、注意すべきである。

私はいわゆるノンポリだったし、極めて個人主義の強い人間なので、労組つくっておきながら、その労組からいちばん遠い人間かもしれない。

人は置かれている境遇によって変わる

人は置かれている境遇によって変わる。犯罪だっておかすこともあり得る。ふだんはどんなに立派な人格者であり、どんなに立派なことを言っていてもね。人格者でもない私ならなおさらそうだ。

たまたま財布を見つけ、即座にコンビニに届けたのは、私がそこまで飢えていなかっただけにすぎない。もう一つかろうじて付け加えるなら、人としての矜持みたいなものだろう。が、後者は案外弱いものだ。人は自分の悪しき行動に何とか理由をつけて、正当化をしたがるものだから。私自身もそういう経験あるしね。

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