岩波新書「労働組合とは何か」(木下武男著)の書き出しあたりはこう始まる。
労働組合は、貧しい虐げられた者たちが身を守り、生きるために闘う武器だったはずだ。世界を見渡せば、労働組合は今も働く者にとって、なくてはならない支えとして存在しつづけている。だが、今の日本では、多くの人にとって労働組合は縁遠いものだろう。何をしているのかわからない。メディアをつうじてその存在を知らされるのは、何かの反対運動をしているときと、春闘で大企業の賃上げが報道されるときぐらいだ。貧しい不安な生活をかかえている人々に、労働組合は役に立ってはいない。
最初にこれを読んだとき、ちょっとオバーじゃないかとおもった。労働組合が役に立っていないと断定することに。労働組合だっていろいろある。中にはそういう組合もあるだろうが、そうでない組合だってあるはずだ。
これが、私を含めた労働組合のことを知らない人の、普通の考えだろうとおもう。ある弁護士はもっとすごくて、日本にはまともな労働組合など存在しないとも。これにも最初は反発を覚えた。
ところがどうだ。自前の労働組合を立ち上げるなど、労働組合とかかわるようになりだして、上で言っていることがかなり真実に近いことがわかりだした。労働者の味方ヅラして、実際は労働者のほうに顔を向けていない労働組合は例外ではなく、むしろそういうのばかりなのだと、最近は実感をこめて言うことができる。
うちの労働組合はちいさい。闘うといっても、団体交渉権があるから無視されないだけで、実際は、大企業からみれば虫けらのごとき存在だ。そして事実上、無視されている。それで卑屈になってこちらも虫けらのように振舞ったら、踏みつけられても文句を言えない(カント)。
これは小さかろうが、大きかろうが、闘いを放棄した労組ならどちらも同じことである。企業にとって、こんな扱いやすい虫けらはいない。
うちが虫けらになりさがったときは、もちろん解散する。