ブラック企業相手なら、「水に落ちた犬を打つべし」(魯迅)

朝日新聞の記者で政治方面で有名だった石川真澄氏は、短文の名手としても知られる。氏は、「うまい!といわれる 短い文章のコツ」という氏の著書でこう書いている。

感情の表現も、できるだけけずっていく。読者は、通常、筆者の感情に関心があるわけではない。筆者の感情の動きを触発した事実に対して興味を持つのである。…読者には、筆者の怒りの大きさとつき合わなければならない義理はない。読者が関心を抱くのは、筆者の怒りを買うにいたった相手の冷たいあしらい方だ。

感情の表現を抑制するのに、いい方法が一つある。もしあなたが、短文であなたの怒りを表したい時には、怒りという字を一度も使わないで書いてみる。悲しみを書きたい時には、悲しいとかこれに類した言葉を使わない。こういう禁欲はきっと役に立つはずだ。感情表現より事実だけを書け。(P67-)

私の知り合いの組合活動家は、団交時に、事実や証拠で追い詰めるのでなくて、自分の感情を爆発させ、相手の感情に訴えること、相手の良識に訴えるということばかりを繰り返していたと反省していた。これがそのときのDMである。

これじゃ駄目なのよね。ううん、私もそう思う。

感情的にはわかるし、怒ること、あるいは悲しむこと自体は避けようがない。そして、相手だって同じ人間だ、きっと相手にも同じような感情があるに違いないと、倫理で責める。攻めまくる。

相手の感情や良識に訴える戦術が必ずダメだとは思わない。ときに有効なこともある。が、2、3回団交をしてそれでも効果がないとわかったら、その戦術はとってはならない。延々とつづけていたらダメである。そもそも団交時間は2時間なのである。永遠にあるわけではない。限られた時間で会社を追い込まなくてはならない。が、リンリで訴えても、会社側は「カエルのツラに小便」。いつもこんな調子で、時間を無駄に使い、徒労に終わる。私の知り合いの組合活動家は、それを2年間も続けていたと嘆息していた。

とにかく、事実をつきつけることだ。その事実を裏付ける証拠ももちろん必要である。感情のほうは背景にとどめておく。顔は怒ったり悲しんだりして今にも爆発しそうだけれど、そこは顔や振る舞いだけにとどめて、口調は事実をたんたんと述べることである。怒っているとか、悲しいなどと決して言わないことだ。

ブラック企業とは感情とか倫理とかとはまったく対極の存在なのである。そういうのはとっくに捨てている。バレなければなんだってやる。そういう認識に達したなら、打開策も出てくる。徹底化させるのだ。「水に落ちた犬を打つべし」(魯迅)。

引用

(「「フェアプレイ」はまだ早い」「魯迅文集3」P276より) 

とは言いつつ、どっか甘ちゃんの私も、激やせした本社N氏に同情して、職務なのだから仕方ないのだろうと、追及が甘くなる。言うのはかんたんだが、徹底して実行に移せない。お互い、人じゃないか。たまたま敵対しているだけだよ。話せばわかる。

これがいけないのだ。あっちはこっちを同じ「人」と思っていないのだから。

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