久しぶりの更新。所期の目的達成のため労組活動をやめています。

このブログ自体もやめようかと思っていますが、放置していたためそのままになっていました。団交→裁判で、所期の目的を達成し、たいへん自信になりました。ただ、労組活動は、おれ苦手だし、労組命でもないので、復活するつもりはほとんどありません。で、労組活動を通じて、こうおもうようになりました。

みんながそれぞれに職業をたいていもっている。そして、そこで技能を発揮して生計を立てている。そして社会をまわしている。大工さんも農民も工場労働者も主婦も教師もそれぞれに職業を持ち、技能を発揮する。そういった職能を持った人たちが集まって、その職能だけでは解決できない問題を、名前も知らない者同士が、お互いの経験、知恵を出しあって解決しようとする。

そのときは、1個の職能人として問題に向き合うのではない。自分の職能の範囲内では解決できない問題を、みんなが経験、知恵を出しあって、解決しようとする。そのときは、一個の職能人を離れて、ひとりの市民として立ち上がる。その場を労働組合が提供する。それでいいのだとおもう。職能人として解決できない問題が発生したら、「その場」に集まる。それぞれ職能は違うが、そこに偉いさんも非偉いさんもない。正規も非正規もなく男女の区別もない。そういった属性からいったん離れ、1人の市民として個々の問題に向き合う。そういうゆるい関係でいい。

で、ここで大切なことは、問題が解決したら、職能人としての自分にもどる。紛争解決しようと集まったときは名前や肩書はいらないことだ。労働組合は継続的な場の提供者でなくて、紛争が生じたときの「一時的な場」の提供者に徹することだ。そうすれば組織維持のための弊害もないし、上下の関係も発生しない。いうならば市民的労働組合ですね。理想かもしれないけど、そういうのだったら復活するかもしれない。

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